対馬とつながる太陽信仰
日本の神話では国生みの神として天照大神がよく知られているが、沖縄では太陽の子(ティダヌファ)伝説が有名である。太陽の子とは2代目の王統である英祖王統の始祖である英祖は母が太陽を見て孕んで生まれた子であるとの日光感精説話から、英祖王はティダヌファと称されていたというわけである。また、王の居住するお城(グスク)のアーチ門は太陽である王が出たり入ったりする事から、太陽の穴(ティダガアナ)とも言われ、太陽の穴信仰の場として伝えられることもある。
日本の天照大神とも違う沖縄の太陽信仰を沖縄独自と考える向きも多いが、北九州の対馬にそのルーツはしっかりと遺されている。対馬の天道法師信仰がそれである。今から1300年前の話で、ある高貴な女性が太陽を見て懐妊し、生まれた子は霊力が高く、時の天皇の病を癒すなどと活躍し、天道法師として地域で崇められ神として今に至るまで信仰されている。天道法師も太陽の子という点で、英祖王伝説と一致する。奄美にも、宮古の伊良部島などにも日光感精説話が有る。やはり太陽の子伝説のルーツは北九州は対馬に有りと言えると思うがどうだろうか。
御嶽信仰に対馬との繋がり
一般的には太陽のことをオテントサマと言うが、それは太陽のことを天道とも言い表していたことの親しみのある表現である。古くは太陽のことを「てんたう、てんだう」とも称していたと言うことも知られている。
南島の島々では太陽のことをティダと言うが、それは天道の方言的な表現であるとされる。それだけ南島の人々が、太陽を天道(てんたう、てんだう)と呼称していたことの現れと思われる。その具体例を一つ紹介しよう。崎間敏勝氏は『先島の「島建て」考』という著書で、沖縄の天道信仰に関して、宮古島の御嶽の事例を紹介している。
宮古の狩俣集落の大城御嶽の域内では「てんだう」と呼ばれる祭場があり、そこに鎮座するとされる「てんだうの神」に女性たちが祈願をしていることを紹介している。対馬の天道信仰では天道茂〔シゲ〕を祭りの場所として穢れを嫌う場所としている事から、御嶽の境内を「これは対馬の天道地そのものである」としている。ということは、南島の御嶽信仰にも対馬や北九州の影響があることを示唆していると言えよう。この事から奄美、沖縄は北九州や対馬と文化的に繋がっていることが言えそうである。
西表島と対馬の山猫は同属
対馬と沖縄の繋がりを探っていく中で、思いついたので記すことにしたのが、馬と山猫の事である。人間でさえ、北九州方面から来ているならば、他の動物も来ていても不思議は無い。実際、発掘調査では、竹富島のカイジ浜貝塚では馬の骨が出土している。これらの馬は北九州から持ち込まれたと見るのが妥当であろう。
昭和初期の長崎県の五島列島では農耕用の五島馬がいたが、その馬は対馬からの馬である(『五島民俗圖誌』p52)と言われているようだ。要するに与那国馬のルーツであろう。
12世紀頃に対馬馬が八重山に持ち込まれていたという事から類推したのが、目暗蛇に怖じずであるが、発想の転換という意味で、対島山猫と西表山猫は繋がりがあるのでは?と考えてみたのである。それで2つの山猫の関係について調べてみた。
アジアではベンガル山猫が良く知られている。その山猫はインドから中国中国から台湾、朝鮮、対馬と広範囲に分布している。しかし、西表山猫が発見された際に西表山猫は新属新種、一族一種として宣伝されたが、現在では、「対馬山猫とイリオモテヤマネコは遺伝子は全く同一であった」(「遺伝子からみたイリオモテヤマネコとツシマヤマネコの渡来と進化起源」増田隆一)との見解があり、どちらもベンガルヤマネコの一集団として分類されているようです。実際はどうなのでしょうか?その視点で研究すると何かが見えてくるかも知れませんね。
附(つけたり)
対馬と繋がる食文化を紹介する。それは、沖縄の十五夜の豆餅で有る。沖縄では「フチャギ」八重山では「フカンギ」というお餅が、実は対馬では、対馬独特の餅でその名も「だんつけ餅」としてよく食されています。しかも、対馬では対馬だけの餅として食されています。沖縄でも、沖縄だけの餅と考えています。どうなっているのでしょうね。やっぱり沖縄は何処かで対馬と繋がっていますね。


