山羊の呼称に関わるお話

沖縄各地の山羊の呼称

 沖縄県内各地では山羊のことを様々な呼び名で表している。代表邸なところでは沖縄地方の中部、南部当たりは「ヒージャー」名護方面は「ピージャー」のようである。宮古地方では「ピンザ」、「ピンダ」八重山地方では「ピビジャ」と称している。まあ、県内各地、これに類する表現をしているということである。
 で、なんで「ヒージャー」なの、ということである人に聞いたことがある。「それはね、山羊にはヒゲがあるでしょ。ヒゲのことを沖縄ではヒジと言うから、山羊をヒージャーと言うんだよ」というまことしやかな説明に納得。方言ではヒゲのことをピニという地域もあるでしょ、と言うと、「だからそういう地域では、ピージャーと言うんだよ」と説明に淀みは無い。納得である。でもそれは沖縄本島での会話。宮古、八重山地方ではピンダ、ピピジャと言うのでヒゲ説は通用しない。では宮古、八重山含め沖縄の山羊の方言名の由来はどう説明すれば良いのかということである。

古い昔、山羊は羊と呼ばれていたという

 山羊に関する論文やネットのウィキペディア等によると日本では『日本書紀』の推古天皇7(599)年に朝鮮半島の百済からラクダや羊が献上されたとある。また奈良時代の810年には新羅から羊、白羊、山羊などが献上されたとの記録もある。では、この羊や山羊なるものが何と呼ばれていたかというと、江戸時代に記された『和漢山才図會』には、山羊の絵が描かれていて読み方として[ひつじ]と平仮名で記されている。音読みとしてはヤンとある。このことから日本の江戸時代までは羊も山羊もヒツジと称されていたと考えられる。
 日本ではいつの頃かは定かで無いが、羊はヒツジ、山羊はヤギと呼ばれるようになったようだ。ちなみに琉球王府の文書ではヤギのことを「羊」と表記している。ということで、沖縄では推古天皇以来、山羊を「ヒツジ」として呼び続けているうちに、ピンダやピビジャ、ヒージャーと相成った次第であるということ。納得してくれたかな!ということです。ちなみに奄美諸島も方言として、ヒンジャ、ヒンザと称しているので奄美の琉球王国時代(江戸時代初期、薩摩当地以前)には山羊がいたことが分かる。

沖縄、先島の山羊の導入

 1500年の赤蜂の乱を遡る1477年尚真王の頃、朝鮮人が与那国島に漂着し宮古島、沖縄島を経由して帰国する期間の挑戦側の記録「朝鮮人漂流記」に依ると、ヨ名護島では牛、鶏、猫を飼っているが、牛、鶏の肉は食べないと記されている。その頃は、山羊も与那国馬もはいなったこともわかる。西表祖納では牛は食することが記されている。猪を食していることも記されている。朝鮮人は那覇でのことも記録しているが、那覇では馬、牛、山羊、豚、犬、鶏などを飼っていて、牛馬を食すと記している。ちなみに、沖縄島への山羊の導入は定かではないが、沖縄島へは1430年代、尚巴志王の頃とされている。その頃から沖縄等を中心に山羊の飼育も広がったと考えられる。
 ところで馬や山羊が居なかった先島には、馬は赤蜂の乱以降に沖縄島から持ち込まれているので山羊も同様だと思う。何れにせよ、今後は、沖縄島への馬、豚、山羊など家畜の導入について考古学の発掘成果を踏まえて時期の検討をしていく必要がある。

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